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金子哲雄の激痩せ画像と兄弟の死因は?遺品はエンディングノート?

time 2016/07/10


こんにちは。ありんこです。

肺カルチノイドで41歳という若さでお亡くなりになった金子哲雄さん。

その生きざまを、妻の稚子さんが爆報フライデーで語ってくれます。

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肺カルチノイドとは?

がんに似た性質の悪性腫瘍です。

肺がんの一種に分類され、症状も肺がんと同様です。

がんに似ているということから「がんもどき」と言われています。

このカルチノイドは肺だけでなく、どの臓器にもできます。

一般的には、悪性度も進行度も低く、長期生存率が高い定型と症状が早く進行する非定型に分かれます。

肺カルチノイドは、肺の悪性腫瘍のうちでも、約1%しかないという比較的まれな疾患と言われています。

金子哲雄さん プロフィール

生年月日 1971年4月30日

学歴 慶応義塾大学文学部卒業
   京都産業大学大学院経済学研究科修了

慶応大学を卒業後、いったんサラリーマンになりましたが、その後、経営コンサルタントとして独立し、「流通ジャーナリスト」という肩書で雑誌、テレビなどで活躍していました。

妻 金子稚子さんとの出会い

金子さんがフリージャーナリストになって本を出版するときに、先輩に紹介してもらった編集者だったそうです。

金子さんは奥さんに初めて会った時に運命の糸を感じたそうです。

プロポーズの言葉は

「年収300万円でも年収600万円の暮らしを保証します。」

金子さんにはお子さんがいません。

病気がわかってからは奥さんのために、何も残したやれないからと一生懸命働いたそうです。

そんな金子さんの体を気遣って、奥さんは、毎朝、にんじん12本、グレープフルーツ2個、オレンジ2個、レモン1個で特製ジュースを2リットル作っていたそうです。

これは免疫力を高めるためだったそうです。

結婚して間もない30歳の頃、「自分の人生を生きなさい」と奥さんに言われたそうです。

フリーのジャーナリストは仕事が不安定です。

この先、どうなるのか常に不安と焦りがあったそうですが、この奥さんの言葉で目が覚めたそうです。

自分がやりたいことをやると周りの人が幸せになるんだとわかった言葉でした。

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金子さんが奥さんに書いた手紙

わかちゃんへ

毎日毎日、本当に朝6時ぐらいに起きてもらって、にんじんジュースやグレープフルーツジュースを絞ってくれて、さらに、その絞りカスを掃除したりとか、わざわざめんどくさいことをやってくれながらも、僕の健康のことを気遣ってくれて、ほんとにどうもありがとうございます。
他にも、毎日毎日、僕が仕事でこんなアイデアがあるよ、って言ったら、適切なアドバイスをくれて、さらに買い物に行った時に、僕が見落としているような買い物情報まで付加してくれたりと、ほんとにもう、わかちゃんがいないと僕は生活できないし、もう生きていく楽しみがまったくなくなってしまうのかな、と思います。

これからもわかちゃんを心配させたり、悲しませたりしないよう、僕自身も健康のことを考えながら、仕事や、自転車に乗ったり、サイクリングに行ったり、プライベートも充実していきたいな、と思っています。
ほんとにわかちゃん、いつもありがとう。そしてこれからもよろしくお願いします。

金子さんの兄弟

金子さんには、3人の兄弟がいましたが、いづれも幼い頃に病死しています。

子供の頃から自分は兄弟の分まで生きなければならないというプレッシャーを抱えていたみたいです。

兄弟の死因は分からないですが、がんは遺伝と言われているので、もしかしたらがんだったのかもしれませんね。

おおたわ史絵氏

おおたわ史絵氏は金子さんから病気の相談を受けていました。

亡くなる2週間前に「そろそろ人生のカウントダウンをしているような気がします。とにかく今、抱えていることをちゃんと仕上げて、立派な千秋楽を迎えようと思います」と最後のメールをもらったそうです。

人間って自分の死期がわかると言いますが、これを聞くと本当なんだと思いました。

病気なってから1年4か月の間にお墓、葬儀、告別式などすべて準備していたようです。

奥さんに負担をかけたくなかったのでしょう。

告別式に参加した人に配られた手紙の内容

このたびは、お忙しい中、私、金子哲雄の葬儀にご列席たまわり、ありがとうございました。今回、41歳で人生における早期リタイア制度を利用させていただいたことに対し、感謝申し上げると同時に、現在、お仕事などにて、お世話になっている関係者のみなさまに、ご迷惑おかけしましたこと、心よりおわび申し上げます。申し訳ございません。

 もちろん、早期リタイアしたからといって、ゆっくりと休むつもりは毛頭ございません!第二の現場では、全国どこでも、すぐに行くことができる「魔法のドア」があるとうかがっております。そこで、札幌、東京、名古屋、大阪、松山、福岡など、お世話になったみなさまがいらっしゃる地域におじゃまし、心あたたまるハッピーな話題、おトクなネタを探して、歩き回り、情報発信を継続したい所存です。

 今回、ご縁がありまして東京タワーの足元、心光院さまが次の拠点となりました。「何か、面白いネタがないかな?」と思われましたら、チャンネルや周波数を東京タワー方面に合わせ、金子の姿を思い出していただけましたら幸いです。

 このたび、葬儀を執り行うにあたりまして葬儀社のセレモニーみやざき 宮崎美津子さまには生前より真摯(しんし)に相談にのって頂きました。また、自分の歩んできた道とゆかりのある港区東麻布を終(つい)の住処とすることをお許しいただきました、浄土宗 心光院 御住職 戸松 義晴先生には公私にわたり、死生観などのアドバイスをちょうだいしました。この場をお借りして御礼申し上げます。ありがとうございました。

 最後になりますが、本日、ご列席下さいました、みなさまのご健康とご多幸を心よりお祈りしております。41年間、お世話になり、ありがとうございました。

急ぎ、書面にて御礼まで。

 平成24年10月1日

流通ジャーナリスト 金子哲雄

引用元:http://www.nikkansports.com/

激やせ

入退院を繰り返しながらもテレビに主演していました。

あまりの激やせに病気かと心配されると「実はダイエットをしました」とうそをついて周りに心配をかけないようにしていました。

その時の画像がこちらです。

金子哲雄 激やせ

出典:http://wintomorrow.at.webry.info/

エンディングノート

金子さんは余命がないとわかってから、自分の死後のことを考え、亡くなる1か月前に40代で死ぬということがどういうことか、妻に何を残せるのか、気持ちにどんな変化が起きるのかを書き残したいと思い、「僕の死に方 エンディングダイアリー500日」を死後に出版されました。

その中にはどうして自分がこんな病気なったんだという怒りや奥さんへの労り、感謝そして病気を受け入れ、残された奥さんの生活のことまですべて準備したことが記されているそうです。

遺品

追記:奥さんに残した遺品は、毎日の買い物の写真でした。

唯一、2ショットの写真が上海への流通データを取りに行った時の写真でしたね。

奥さんは、しばらく「夫ロス」にかかっていましたが、この写真を見て元気を取り戻したそうです。

逆に写真を見るたびにその時の事を思い出して、つらくなりそうな気がしますが・・・

まとめ

爆報フライデーでは、金子さんが奥さんに残した遺品は2つのハードディスクでした。

そこには一緒に買い物に行った時の写真が、日記のように撮られていました。

金子さんは、本当に奥さんのことを愛していたんでしょうね。

いつも明るく舌足らずで話す、金子さんの賢い節約術は楽しみでした。

病気で痩せたことを隠して自分の人生の最後の幕引きまでするなんて、本当に男らしい、人間として素晴らしい方でした。

金子さんのご両親も子供が全員病死してしまうなんて、辛いでしょうね。

自分が余命ゼロと言われたら、やはりパニックになると思います。

それを受け入れ、気持ちの変化を本にするなんて普通はできません。

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